WISE SCAPE - ワイズスケープ / 福島の木造注文住宅、住宅設計

DIALOGUE022

プランについて・おまけ2

話し手:代表取締役 渡邊

今回は、本題に入る前に少しだけ「プラン」にまつわる補足的なお話です。
実際に家をつくる中で感じていること。そして、0からプランを練り上げる上で必要な力とそれがどれだけ貴重なものか...
代表(渡邊)が問わず語りに話し始めます。

本題に入る前にさ、これ、話すかどうか悩むんだけど...。

最近職人さんだと思う。オーダーメイドのプランをできる人、0から1をつくれるっていうのは。それもただのプランじゃなくて、その敷地、住む人、周囲含めbestな、それこそ「スペシャルワン」を導きだせる人は。どこかちょっと特殊能力かもしれない。前はねみんなできるんじゃないかとか思ってたんだけど...

プランを元にちゃんと施工するっていうのも素晴らしい技術だし、それをより良いものにしていくのも素晴らしい。だけど、この0から1の部分の技術はやっぱり職人技。ましてこれだけいろんな会社さんがいて情報も簡単に入ってくる、時代も変わっていく中でその価値をずっと維持してずっと競争力を持ってるってのは、やっぱり職人芸なんだと思う。だって圧倒的に競争優位なんだもん。「真似できない」「代替え出来ない」からね。まあ世の中はAIとかいろんなものになっちゃうのかもしんないけど。でも、最後はやっぱり誰にも奪われない職人技を持っている人が残る、重宝されると思うよ。

職人。設計士とかプランナー、デザイナーとか言われるけど、本当に腕がたつデザイナーのプランニング、デザイン技術は職人芸。だってよくよく考えてみても構造や法規的な部分は当たり前として、敷地条件を読み取って、更に予算は勿論、依頼主の頭の中まで読み切ってデザインに落とし込むんだよ。しかも美しくかっこよく、特別な1棟として。時には1発回答で。これが職人芸でなくて何?(笑)だから教えられないんだよ、きっと。教えるっていうことは極めて難しい。兎に角プランに関しては。数字とか計算じゃない、建築の他の分野、役割のように公式があるわけじゃない。個人の裁量の部分が大きいし。どっちかって言ったら、真似るとか盗むとか。その本人が本当に必死になって、真似たりとか盗もうとして見たりとか聞いたりとか。でもちょっと聞いてできるっていうもんじゃないんだよね。こう人から人へ、しかもそれは弟子みたいな感じで、一子相伝っていうのかな。そうなんないと無理な世界。今では時代遅れだろうけど。だから。職人だと思う。

師範?師匠?のような人について、寝食も共にするぐらいで、食らいつく、辞めないみたいな。そうじゃないと難しいと思う。もう今は無理ね。時代が、社会が許容しないじゃない?だから強い覚悟がある子とある意味で親御さん?家族?一定の周囲の理解があれば可能性があるかと思う。本当に覚悟して10年とか...。そのぐらいやれるっていうんだったら、やっていいと思う。ただやりたい、やってみたいというだけでは難しい。やらせられない。やれば出来るようになるという保証もないしさ。中途半端はお互い不幸になる。だから難しいんだと思うし正直無理な話だと思った。 80点、90点ぐらいはいけたとしても、本当の意味でのオーダーメイドってなると無理なんだろうなって思うな。夢を砕く話かもしれないけどね。でもそれは紛れもない現実だよ。

あと、気づく力とかね。もう気づけない子は全く気づけないんで。ちょっとしたところに。これはなんでこうなんだろう?とか、気持ちいい、気持ち悪いとか、そういう人間的な感覚が養われてないと気づきもしないから、気づかないってことはもうその時点でアウト。人に言われてどうのってことじゃないのでだからもうしょうがない。多分、合う合わないもあると思う。当然師範?師匠?みたいな人との相性も。

相性もあるし、そうですよね、そういうの。

一方でAIとか所謂企画、型って一定のレベルまではそれでいいけど、本当の上流は、住宅に限らず何の仕事職種でも人に依存せざるを得ない。だから、それを無理矢理標準化しようとするのは、一番の魅力がなくなっちゃうんじゃないかな。価値の源水、競争力、強さが。お客さまがその個人や企業に対して支持してくれる部分がなくなっちゃうってこと。まあ量産できるようになって別な部分が伸びたりはするだろうけど、ただ圧倒的な支持や魅力は少なくなっていく。所謂マニア、ファンはね。なんか悩んじゃうよね、会社としては(苦笑)

でも、真実ではあるよね。だって社員も含めて100人みんなに好かれるのを目指してたら、結局は何をやりたいのかわかんなくなっちゃう。100人に好かれるってことは、100人に嫌われないってことは、イコール誰からも好かれないってことだよね。誰のために何を大事にしてやってんのかってことだと思うよ。今はよく「個性を」「個性を」っていうけど、個性が出ない、出にくいようになっているのでは?だってとにかく「早く楽に簡単に」だし、大多数の意見とちょっと違うこと言うとすぐ「炎上」させられるじゃん。みんなが言っていることは全て正しい、みんなが賛成することは間違いない。それが是とされる世の中だから。矛盾してるしある意味でとても危険だよね。ほんとはさ...。あれ、またこれ何の話?みたいになってるな(笑)だから時代外れ?流行らないんだよ。私みたいな考えはさ(笑)

これを聞いてほしいな。

私はどっちかっていうと、もうご存じの通り木材に対する思いと大工さんとか、やっぱ職人さんたちに対する思い。彼らが馬鹿見ないようにっていう。彼らがバカを見るのはすごく嫌なので。プラス、当然経営者だから会社のお金とか、路頭に迷わないようにとか。さらに当たり前だけど、うちを信用してくれるお客さまたち、その、うちを指示してくれるコアなお客さまたちの価値基準とか、支持して頂いている部分を大事にしたい。だから、そこをやろうとしないことに対しては言いますよ、それは。そこ(うちの存在意義、価値や支持の源水)が毀損するのは耐えがたくなっちゃう。そう思えばやっぱり徹底的に言いますよね、そこは。だってそれが会社の文化だし、それを大事にしているから支持されている、社会的な存在意義があるので。それ捨てたら、もううちがうちである意味がなくなっていくので。

それがなし崩しでなんでもいいんだったら、そもそも私が経営者である必要もないんですよ、うちの会社の。ヤマニ建設である必要もない。ワイズスケープである必要がないんだよ。でも一方では、あくまでもうちは、私はそういう考えを取るっていうだけで、別な組織や人であれば当然また違う考えもあるだろうし...。なんかずっと何の話か?ってなってるけど本題に戻りますかね。プラン?だったか(笑)

誰にでもできることではない。だからこそ価値がある。
話を通して、家づくりの裏にある様々な葛藤と日々もがき、戦っていると感じました。